「中学歴史」重要語句~一問一答~(No.12)
こんにちは。ライスです。
今回で「中学歴史重要語句第12回目」です。
早速始めていきましょう!
<目次>
問題
①13世紀後半の2度にわたる元軍による襲来を何というか。
②鎌倉幕府の8代執権で①を退けた人物は誰か。
③借金を帳消しにすることを命じる法令は何か。
④鎌倉幕府を倒した天皇は誰か。
⑤鎌倉幕府滅亡後、④が行った天皇中心の政治を何というか。
⑥室町幕府を開いた初代将軍は誰か。
⑦室町幕府によって強い権限を与えられ、一国を支配するようになった守護を何というか。
⑧室町幕府の3代将軍で、有力な守護大名をおさえ、幕府の権力を確立した人物は誰か。
⑨元の後に建国された漢民族の王朝はどこか。
⑩13~16世紀に、おもに朝鮮半島や中国の沿岸で海賊行為をはたらいた人々のことを何というか。
解答
①元寇
②北条時宗
③徳政令
④後醍醐天皇
⑤建武の新政
⑥足利尊氏
⑦守護大名
⑧足利義満
⑨明
⑩倭寇
解説(補足)
①1274年(文永の役)と1281年(弘安の役)の2度にわたり元軍が九州北部を襲った。日本は執権北条時宗のもとに、御家人が集結して戦った。元軍の集団戦法や火器に対し、一騎打ちを戦法とする日本は苦戦をしいられたが、2度とも暴風雨により元軍は敗退した。
②元からの服属の要求を断り、文永の役・弘安の役の2度にわたる攻撃を退けた。
③鎌倉幕府が1297年に出した永人の徳政令が始まりである。御家人の苦しい生活を救うことが目的であったが、あまり効果はあがらず、社会の混乱を招いた。
④1324年と1331年の2度、政治の実権を朝廷に取り戻そうと企てたが、失敗し、隠岐(島根県)に流された。振興武士の楠木正成や新田義貞、御家人の足利尊氏らの協力で、1333年、鎌倉幕府を滅ぼし、天皇中心の政治を行った。新しい政治は、公家中心の政治で、武士らの不満をかい、わずか2年余りで失敗に終わった。その後、尊氏と対立し、吉野(現在の奈良県)に逃れ、南北朝が対立するなかで亡くなった。
⑤年号を建武と改め、新しい政治を行った。しかし、公家重視の政策が続いたため、武士の失望が広がり、2年余りで崩れた。
⑥鎌倉幕府の御家人であったが、後醍醐天皇が倒幕に立ち上がると、これに応じて六波羅探題を攻め落とし、新田義貞らと鎌倉幕府滅亡のきっかけをつくった。後醍醐天皇の政治が公家中心であることに反発し、武家政治の復活を目指した。後醍醐天皇を退け、光明天皇を立て、室町幕府を開いた。1338年、征夷大将軍に任命された。
⑦守護は自分の領地を拡大し、領地内の地頭や武士を家来として従えていった。
⑧南北朝の合一を行い、室町鳴く府の全盛期を築いた。明と国交を結び、1404年から勘合貿易を行った。出家してのち、京都の北山に金閣を建てた。
⑨1368年、朱元璋が元を倒し、明を建てた。
⑩南北朝の頃の前期は、九州北部の漁民が多く、人々を捕まえたり、米などの食料を奪ったりして恐れられていた。
一言
お疲れさまでした。
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