「中学歴史」重要語句~一問一答~(No.11)
こんにちは。ライスです。
今回も頑張りましょう。
<目次>
問題
①1221年に後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうとしておこした反乱を何というか。
②鎌倉幕府が①の後、朝廷の監視や西国の御家人の統括などを行うために京都に置いた役職は何か。
③1232年、執権北条泰時が裁判の基準を示すために定めた鎌倉幕府の51か条の基本法は何か。
④律令制の租にあたる税で、1年に1度、米や銭で荘園領主に納めらる農民に課せられた税を何というか。
⑤同じ耕地で、1年の間に2種類の異なるs買うもつを作ることを何というか。
⑥親鸞が開いた鎌倉時代の仏教の宗派は何か。
⑦12世紀末~14世紀はじめにかけて栄えた文化で、京都の公家文化を基に武士の文化と大陸からの禅宗の文化の影響を受けた文化を何というか。
⑧鎌倉時代につくられた軍記物で、平氏と源氏の戦いの躍動感や壇ノ浦で滅亡していく平家一門の哀しみを表した物語は何か。
⑨鎌倉時代につくられた仁王像で、寄木造の傑作とされる、運慶・快慶らによってつくられた東大寺南大門わきに置かれている像を何というか。
⑩モンゴル帝国5代皇帝フビライ・ハンが建国した国をどこか。
解答
①承久の乱
②六波羅探題
③御成敗式目(貞永式目)
④年貢
⑤二毛作
⑥浄土真宗(一向宗)
⑦鎌倉文化
⑧平家物語
⑨金剛力士像
⑩元
解説(補足)
①後鳥羽上皇は、西国の武士や大寺院の僧兵、北条氏に不満を持つ東国の武士の一部を味方につけて兵をあげたが、幕府側が勝利した。乱の後、後鳥羽上皇は隠岐(島根県)に流され、京都には朝廷の監視を行った六波羅探題がおかれた。
③御家人に対して、頼朝以来の武士の先例や、武士の習慣・道徳にもとづいて、御家人同士や御家人と荘園領主の間の争いを公平に裁くための裁判の基準を示したもので、長く武家法の手本となった。
⑤鎌倉時代に、西日本一帯で、米の裏作に麦を作る二毛作が行われるようになった。
⑥一向宗とも呼ばれ、地方武士や農民に広く受け入れられ、室町時代に発展した。親鸞は法然の弟子で、法然の教えを進め、多くの悩みに気付き、自分が悪人であると自覚している人ほど阿弥陀仏によって救われるという悪人正機説を説いた。
⑦文学では軍記物「平家物語」、随筆「徒然草」、美術では東大寺南大門の金剛力士像や似絵などがつくられた。また、新しい仏教もおこった。
⑧漢語や口語を交えた文章で、描写されている。盲目の琵琶法師によって語られたことで、文字が読めない人々の間にも広がっていった。
⑨高さは約8.4m。
⑩都は大都(現在の北京)におかれた。1279年、南宋を滅ぼして中国全土を支配した。
一言
お疲れさまでした。
以上で110用語達成です。
今後も頑張りましょう!